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みやこの彦八まつり2003

今日は仕事がお休みというのに、珍しく午前中に目が覚めました。といっても、覚めたんは目だけで、身体はまだまだ眠ったまま。ベッドから這い出ることもなくウトウトしてると、つけっぱなしのラジオから「今日は”いくたまさん”で彦八まつりが行われます」ってタージンの声が。今日は動物園前に映画を観にいくつもりやったんですが、ちょっとその前に「彦八まつり」を覗いてみるのもオモロイな、と予定変更。

彦八まつりって、なんなん?

残暑がデ〜ンと居座る中、南海本線〜地下鉄堺筋線〜地下鉄千日前線と乗り継いで、生國魂神社(いくたまさん)に着いたんが午後4時過ぎ。境内にはステージが設置され、わたしが着いたときには富くじの抽選会をやってました。また、境内には落語家さんによる屋台が軒を連ね、大勢の見物客に混じって落語家さんのお姿もそこかしこに。

文枝師匠の屋台で焼きうどんを立ち食いし、きん枝師匠の屋台で買ったビールをお手水場のところに座って飲んでると、見知らぬオバチャンが、なんかわたしの方にカメラを向けてはる。思わずビールを掲げてニッコリ微笑んだりして(笑) オカマが珍しかったんか、それともわたしを芸人さんと間違えてはったんやろか。あ、オカマ+芸人=”ゲイ人”ってことか(爆)

彦八まつりでのみやこの画像です。

ひとしきり雰囲気を堪能したら動物園前に移動するつもりやったんやけど、プログラムを見たら7時から落語家バンドのライヴがあるとか書いてある。前から見たいと思ってた”ヒロポンズ・ハイ”や”まんぷくブラザーズ”が出るっちゅーし、こりゃ話のタネにも見とかなアカンなと、ここでまたもや予定変更。しかし、時計を見るとまだ5時を回ったとこやし、開演までに2時間近くもあるやん。この間にメシでも食いにいくかとか考えてると(さっき焼きうどん食べたばっかりやのに ^^;)、ステージの方からギターの音が。夜のライヴのリハーサルが始まるらしい。これ幸いとステージ前の空いてる席に陣取り、けっきょくそのまま9時過ぎまで居座ることに。リハーサルとはいえ、そこは落語家さん、MCでは笑わせてくれるわ、本番ではやらなかった曲も聴けたりしたわで、めっちゃ儲けた気分でした。

ヒロポンズ・ハイのリハーサルの画像です。

落語家バンドのリハーサルが終わると、上方落語地車保存会”雅会”による地車囃子がはじまりました。天神祭りでお馴染みの地車囃子ですが、思ってた以上にいろんな組み合わせパターンがあるってことは、呂鶴さんの解説を聞くまで知りませんでした。地車囃子は2セット実演されましたが、2セット目には「彦八まつり」のマスコット・彦八君も登場して龍踊り(?)を披露。ようあんな着ぐるみ着て踊れるもんやな、と感服いたしました。彦八君の中の人はいったい誰なんでしょ? 気になるなァ。

雅会の画像です。

さて、いよいよライヴの開演となり、”ヒロポンズ・ハイ”のメンバーがステージに。みなさん、リハんときは浴衣姿やったんですが、本番ではステージ衣装(?)に着替えてます。あやめさんなんか蜘蛛の巣柄の赤いドレスで色っぽいやら怪しいやら(笑) ただ、ギターの染語樓さんだけは地車囃子から引き続きの出番だったため、リハと同じハッピ姿(ちなみに染語樓さんは「彦八まつり」の実行委員長でもあらせられます)。

ヒロポンズ・ハイの画像です。

楽器やマイクのセッティングも終わり、さぁ始まるぞ〜、と思いきや… メイン・ヴォーカリストの福笑師匠がおれへん(爆) 染語樓さんと遊方さんがマイクで呼びかけ、あやめさんがケータイまで掛けたりして、ようやく姿を現した福笑師匠ですが、案の定かなりお酒が入ってるご様子。そのため、もともと押していた時間が更に押し、最後の”まんぷくブラザーズ”のステージが中途半端に終わっちゃうことになるんですが、ま、それも含めての福笑師匠であり、”ヒロポンズハイ”であり、「彦八まつり」であった、ってところですかな。はじめて知った頃(もう30年ぐらい前?)からぜんぜん変わらない福笑師匠、大好きです。

ヒロポンズ・ハイの画像です。

ステージの方は、オリジナル曲の『上方落語ハッピーソング』でスタート。その後、ウルフルズの『笑えれば』、あやめさんヴォーカルのこれもオリジナル曲『ヒロポン』と続いて早くも最後の『ひょっこりひょうたん島』の替え歌(♪居並ぶ先輩スイスイ追い抜いて、三枝会長どこへいく〜)。そしてお約束のアンコールがRCサクセションの『雨上がりの夜空に』。アンコールではステージの前で踊ってはるお客さんもいてはりました。

ヒロポンズ・ハイの画像です。

ここでライヴはいったん中断して、”はなしか連”の阿波踊りが登場。学光さんを中心に落語家以外の方(ご家族か?)も混じっての大所帯。一生懸命踊るお子さんたちが、もぅかわいくって、かわいくって。本場の阿波踊りは見たことないんですが、その楽しさの一端を垣間見ることができたような気がします。落語家さんが順繰りに紹介していくのも大喜利チックで笑わせてもらいました。

はなしか連の画像です。

続いてステージに上がったのは、”桂文福とワ!つれもていこら〜ズ”。和歌山出身の落語家さん、芸人さんが集まったコーラス・グループ(?)です。フル・メンバーは12人いるらしいんですが、この夜はそのうちの5人がステージに。客席に花束かかえて陣取ってるオバチャンが多数いたんですが、メンバーのひとりである通天閣歌謡劇場のスター・林健二さんのオッカケ軍団やったみたいで、”ワ!つれもていこら〜ズ”のステージが終わるやいなやソソクサと引き上げたのには、笑うやら呆れるやら。浪速のオバチャン・パワーを垣間見た一瞬でした(なんか、いろんなもんを垣間見た夜やったなァ)。曲は文福さんお馴染みの『河内音頭』に始まって、林健二さんのソロ曲(ごめんなさい、タイトル忘れちゃいました)を挟み、ぶらくり町で大ヒットしてるという(笑)『和歌山 LOVE SONG 21』とそのカップリング曲『紀州つれもて音頭』。MCでは、文福さんの落語協会批判(浴衣がダサイとか ^^;)もチラっと聞けたりもしました。

桂文福とワ!つれもていこら〜ズの画像です。

そして、トリを努めたのが”桂雀三郎 with まんぷくブラザーズ”。まず雀三郎さんが、セッティングが完了するまでの場つなぎに『学生街の喫茶店』の替え歌『学生街の寄席』をアカペラで熱唱(笑) その後、わたしもCD持ってる大ヒット曲『ヨーデル食べ放題』、ABCラジオ『東西南北 龍介がゆく』のジングル(間違いヴァージョン)、『大きな古時計』の替え歌と続いたところで残念ながらタイムアウト! この他に、リハで『我が青春の上方落語』も聴くことができましたが、う〜ん、やっぱり物足りんなァ。今度はもっとジックリ見てみたいなァ。わたしはもともと雀三郎さんの落語が好きなんで(ハガキ職人時代は自称”弟子”を名乗ってたぐらいで)、11月のワッハの独演会、行こうかなァ。なんて考えてる今日この頃でございます。

桂雀三郎 with まんぷくブラザーズの画像です。

あれやこれやで、全ステージ終わったんが、夜の9時過ぎ。この後、福笑師匠とあやめさんの秘密のショウ・タイムとかも見たかったんやけど、時間も遅かったし、なによりもメイクが崩壊寸前やったんで、大慌てで”いくたまさん”を後にしました。もちろん、当初予定していた映画は見れるわけもなく、ミナミで武装解除。来年の「彦八まつり」は友だちも誘って、2日間フルに楽しもうと心に誓うみやこさんでした。そのためには、まずは崩れないメイク術を研究せな(笑)

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彦八まつりって、なんなん?

彦八まつりは、「生國魂神社」の境内に”上方落語始祖・米澤彦八の碑”が建立されたことがキッカケで始まりました。

いくたまさんの鳥居の画像です。

大阪市営地下鉄千日前線の谷町九丁目で降りて、西へ数分、ラブホテル街の谷間を抜けたところに、「生國魂神社」はあります。正式には「いくくにたまじんじゃ」と読みますが、大阪の人は「いくたまさん」と呼びます。この愛称(?)はすっかり定着し、現在のこのあたりの地名も生玉町(いくたまちょう)と言いますが、これは余談。千日前通りを挟んだ北側には落語『高津の富』でお馴染みの高津宮があり、また、西側(日本橋方向)にちょっと歩いたところには、うちの掲示板で話題になったコスプレ焼肉屋があったりしますが、これも余談(笑)

社伝によると、神武天皇が九州から大阪の難波津に到着した折、石山碕(後の大阪城付近)に生島・足島神を祀ったのが「いくたまさん」の始まりで、その後、太閤秀吉の大阪築城に伴い現在の場所に遷ったとか。

いくたまさんの社殿の画像です。

時は下り、近世になって、お寺や神社の境内や門前は落語や漫才など芸能の興業地として使われることが多くなりましたが、「いくたまさん」にもいろいろな芸能者が集まってきたと云います。近松の『曽根崎心中』でも、「いくたまさん」の境内に多くの寄席小屋が集まっていたことが語られているそうです(読んだことないんで知ったか君ですが ^^;)。境内に浄瑠璃神社や、もともと道頓堀の中座に祀られていた八兵衛大明神を合祀した源九郎稲荷といった芸能関係の社があるのも、そうした歴史の賜なのでしょう。

さて、「いくたまさん」に集まった芸能者の中に、米沢彦八というお人がおりました。京都の「露の五郎兵衛」が軽口話と呼ばれる落語の原型みたいなのを始めて、それを大坂に持ち込んだのが彦八で、彼は瞬く間に「いくたまさん」一の人気者となったそうです。彦八の話=噺は、いつしか「彦八ばなし」と呼ばれるようになり、彦八の弟子たちにより日本中に広まったとも云われています。

彦八のレリーフの画像です。

またまた余談ですが、彦八は後の世で”上方落語の祖”と呼ばれるようになるのですが、露の五郎兵衛に敬意を表し、五郎兵衛を”上方落語の祖”、彦八を”大坂落語の祖”として並べることもあるようです。また、この二人とほぼ同時代に活躍した鹿野武左衛門という人物が”江戸落語の祖”とされており、京都と大坂はともかく、江戸でも期を同じくして”落語の祖”が誕生したちゅーんですから、歴史の不思議を感じさせる話ですね。

彦八の名を後世に残すため、「記念碑を建てよやないか」と言い出したのは五代目笑福亭松鶴であり、五代目の死後は六代目が、六代目の死後はその弟子たちが意志を引き継ぎ、六代目の五年忌である1990年(平成2年)9月、ようやく「いくたまさん」の境内に”上方落語始祖・米澤彦八の碑”建立の運びとなりました。そして、その翌年から年に一回、落語家さんたちが一堂に会し、彦八に感謝の意を表すと共に、ファンの方々と直に接することで上方落語により親しんでもらおうと開催されてきたのが「彦八まつり」なのです。「彦八まつり」は、言うなれば“上方落語のファン感謝デー”なんですな。

彦八の記念碑の画像です。

今年の「彦八まつり」は9月6日、7日の2日間にわたって開催されました。わたしが覗いたのは初日の夕方頃から夜までの、ほんのわずかな時間でしたが、それでもジューブン楽しいひとときを過ごさせていただきました。わたしは落語ファンとしては、もう何年も寄席や落語会に足を運んでない不良債権的ファンですが、「彦八まつり」に触れたことで、身体に流れる落語好きの血が疼きだしたようです。これからは心を入れ替えて(笑)、機会があれば落語会などにも顔を出し、来年以降はもっとジュージツした「彦八まつり」レポートをお届けできるよう努力することをお約束いたします。……って、誰に向けて”熱い決意表明”してんねん(笑)

「彦八まつり」についてもっと詳しく知りたい方は、上方落語協会へ足をお運びください。

この画像をクリックすると上方落語協会の公式サイトにジャンプします。

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彦八ナヴィゲーター

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