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東通りで唄あしび

東中通に『ヘヴンヒル』という店がある。そこに集う人々はみな音楽好きである。バナナホールやレインドッグスといったライブハウスのオーナーやスタッフ、音楽を聞かせるお店のマスターたちもより集い連日賑やかに盛り上がっている。それもそうだ、この店の店主は関西フォークの原動力となり高石友也やフォーククルセダーズやはっぴいえんどや高田渡などを輩出したURCレコード最後の新人として脚光を浴びたシンガー、宮里ひろしその人なのだ。(URCレコードは東通に程近い兎我野町にあった)

この店では日曜日ともなると歌心楽器心のあるお客たちが寄り集まって『天国・唄あしび』という名のライブを行う。出演者はサラリーマンや飲食店主、シンガーの卵、かつてはミュージシャンであった人、学生時代から趣味で音楽を続けている人・・・みな本当に音楽が歌が好きなのである。もちろん狭いお店に溢れんばかりのお客さんたちも同様だ。そんな中で際立つ存在感を放つのが東通りの老舗お好み焼き店『美舟』の大将で東通第一商店会の理事長の舟橋さん。今回の『東通で唄あしび』の発案者だ。

舟橋さんは音楽資料保管の為の『隠れ家』を持つ程のマニアで、東通りの音楽史の生き証人でもあるが、やはりその音楽的支柱は60年代から70年代にかけて世界を席巻したニュー・ロックの時代のそれ。『ヘブンヒル』に通うにつれ、ビルの一角の小さな音楽BARから飛び出て陽の当たる通りに出てまさにサニーサイド・オブ・ザ・ストリートな音楽会をしようではないかと。これに協力するのは旧バナナホールやレインドッグスのスタッフ、レコードバーの店主を始め東通近辺で音楽系の店を営む人々やその常連客。その輪は更に広がりつつある。

スペシャルゲストは大阪を代表する歌い手の木村充揮(彼は元憂歌団のボーカリストであったが憂歌団の事務所も東通近くの神山町にあった)。彼の原点に戻ってアコースティックギター一本で唄います。

尚、舞台設営に関しましては大阪を拠点とする著名な劇団「維新派」の舞台設営に関わるアーティストが丸太と番線のみの仕掛けで見かけぬ異空間を創出してくれることになっています。

ともかく先ずはささやかながら小石を池に投げて良い波紋を起こせればという願いから始めまして、皆様方のご協力を得ながら次が見えるイベントにしたく思いますので何卒よろしくお願い申し上げます。


『阪急東通沿革』

戦前は阪急銀座街と呼ばれたストリートがあり、まさに阪急電車の門前町として栄えていた東梅田一帯。それが戦後、国鉄(JR)大阪駅、阪神、阪急、地下鉄、市バスが集結する大梅田ターミナルの発展と共に今日の阪急東通に至る繁華歓楽街が形成されていった。民俗学的に言えば男町・場末といったところか、昭和40年頃には阪急東通商店街(会)が発足、『阪急東』や『東通り』と親しまれるようになった。

井筒和幸監督の映画『ガキ帝国』の舞台となった昭和40年代の東通りは喫茶店文化の百花繚乱期、それぞれがお勧めの音楽と絡まって店の様相を整えていた。ロココ調喫茶、歌声喫茶、ゴーゴーホール、ジャズ喫茶、ロック喫茶、ディスコ、絨毯バー、、、飲食・酒・女に「音楽」というのが東通りの特色。物販店の少ない商店街にあって『LPコーナー』はジャズはもとより英米ロックの新譜アルバムが航空便で取り寄せられ、全国からマニアが集結するレコード店として著名だった。

アロー・ジャズオーケストラや坂本スミ子、高石友也・岡林信康・フォークルらのURCレコード、扇町ミュージアム・・・・どれもがサブカルチャーの走りとしてこの街周縁で花開いたものだ。

そんな東通りの懐かしくて新しい試みが阪急東通商店街・秋季音楽会≪東通りで歌あしび≫なのです。

   阪急東通第一商店街理事長

阪急東通商店街 公式サイト「ええやんか東通」


【唄あしび】とは皆で浜辺など何となく集って音楽をするという参加型の音楽遊びです。あしびとは琉球口で【遊び】のこと、今回のイベントに相応しいネーミングとして採用させていただきました。キャスティングにつきましては本趣旨に共鳴をいただき、また東通と縁浅からぬミュージシャンを選考しました。

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東通りで唄あしびのポスターの画像です。

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