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以下のテキストには”ネタバレ”を含んでいます。閲覧にはご注意ください。

座頭市と用心棒の画像です。

地獄にゃァ飽きた

切った貼ったの毎日に嫌気が差した市の心を、3年前に訪れた蓮華沢の里の思い出が過ぎります。

そよ風 せせらぎ 梅の匂い

疲れ切った体と心を癒そうと市の足は蓮華沢の里へ向きますが、画面に映し出されるのは、市の心の中にある里のイメージとは相反する実景。

市が鼻をクンクンさせて「梅の匂いがする」と呟くと、カメラはパンして梅の木を捉えるんですが、その幹には藁人形が打ちつけられていたり(おい)

「せせらぎ」と呟くと、カメラは緩やかな小川を映しますが、その流れを辿った先には死体が転がっていたり(おいおい)

そして、「そよ風」と呟いたところで画面は、風に吹きさらされてるお地蔵さんが立ち並ぶところに切り替わる(おいおいお〜い)、てな具合に。

”目が見えない”って市の設定をうまく活かしたブラック・ユーモアで、座頭市シリーズの記念すべき20作目に当たる『座頭市と用心棒』は幕を開けます。

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喜八 meets 座頭市

元々『座頭市』はカツシンのキャラクターもあってコミカルな面も持ち合わせていましたが、本作ではその部分―特にこの冒頭シーンでも見られるようなブラックな笑いがかなり増幅しています。また、シリーズの(というより、大映の、と言った方がいいかも)特徴でもあったクール&スタイリッシュな殺陣とキャラクター設定はよりリアルになる一方で、大きくデフォルメされてる部分もあり、良く言えば自由奔放、悪くいえばゴチャマゼ的な演出が施されています。

コレは、監督が東宝から招いた岡本喜八だったからこそ成しえたモノに他ならないでしょう。喜八監督は、それまでに大映とカツシンが培ってきた座頭市の”味”に敬意を払いつつ、自分流の”味”も大胆にブレンドして、シリーズ中でも異色な『座頭市』を創りあげたのでした。

このスタイルは、後の勝プロ作品にも踏襲されることとなり、ひいては『キル・ビル』にまで影響を与えることとなった……とは考えすぎでしょうか? 今回のDVDは北野武の『座頭市』公開に合わせてリリースされましたが、同時に『キル・ビル』の公開とも重なったことに、なにか因縁めいたモノを感じちゃうんですが。って、やっぱり考えすぎか(笑)

なんにせよ、この映画と岡本喜八の演出スタイルは、ソレを受け入れた勝新太郎の映画人としての先見性、革新性と共に(カツシンは製作も兼務)、もっと評価されていいものだと思います。

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蓮華沢の里へ来てみたものの

3年ぶりに訪れた蓮華沢の里は、かつてのような心休まる里ではなくなってました。人々の心はすさんじまってて、市とは馴染みだった鍛冶屋の留さん(常田富士男)も今ではスキやクワの代わりに刀を鍛えてる始末。

市は別の按摩(砂塚秀夫)から、この里を仕切っているのが小仏の政五郎(米倉斉加年)というヤクザだということを聞き出します。もともと小仏一家は、このあたり一帯を襲った飢饉から里を守るため、当時の里の仕切り役だった兵六爺さん(嵐寛寿郎)が雇い入れたのでしたが、飢饉が去った後も里に留まり続けてやりたい放題し放題。小仏一家は、住人たちがギリギリ凌げるぐらいの蓄えがあったこの里に押し寄せてくる近在の飢えた人たちを皆殺しにしちゃったそうで(その数130人!)、兵六爺さんはその霊を弔うためにお地蔵さんを彫り続けています。冒頭の立ち並ぶお地蔵さんは爺さんが彫ったモノだったのでした。

政五郎役の米倉斉加年は、意外なことに喜八映画はコレ1本だけなんですね。なんかもっと出てるような気がするんですが、それほどこの映画に馴染んでたってことなんでしょうか。先に「大きくデフォルメされてる部分ウンヌン」ってことを書きましたが、その最たるモノがこの政五郎のキャラクターだと思います。メイクなのか素顔なのかよくわからない容貌もおかしいですが、130人もの人を惨殺したくせにけっこう小心者なところもまたおかしい。まさに喜八映画のキャラクターと言えるでしょう。

そんな政五郎率いる小仏一家の用心棒が、この映画のもう一人の主役、三船敏郎です。

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今すぐなら一両

当時のお客さんの大部分は三船の用心棒と聞いて、黒澤作品の三十郎のようなキャラクターを想像していたことでしょう。しかし、この映画の用心棒は見た目こそ三十郎ソックリなものの(当たり前ですが)、三十郎のような明朗さは持ち合わせておらず、酒好きで金に汚く、市を面と向かって「どメクラ!」と呼びつけるような、ちょっと付き合うのはゴメンこうむりたくなるような男として描かれています。

コレを不満と感じた三船ファンはかなりの数に上ると思われますが、わたしは「俺は悪のその上を行く”ワルワルだァ”」とうそぶくコッチの用心棒の方がだんぜん好きです。なにより、三船さんが楽しそうなところがヨロシイ。この映画に限らず、喜八作品で脇に回ってる三船はどれも楽しそうにその役を演じてるんで(『結婚のすべて』のダンスの先生とか、『独立愚連隊』のキチガイ隊長とか)、見ていて気持ちがいい。

この映画では特に、政五郎とのヤリトリが超イカしてます。いつも酒を飲んでるか寝てるかの用心棒ですが、腕の方は確からしく、子分や里の者たちの前では威張りちらしてる政五郎も用心棒の前では「せんせ〜い」と泣きついてばかり。そんな政五郎に対し、目を剥いて「しぇんせ〜」と返す様は絶品です。何かと言えば「その先を聞きたきゃ十両、今すぐなら一両」と金を要求する様もまた絶品。このあたりのセリフは喜八さんが書いてると思うんですが、三船はもうハマりまくってます。

また、この映画では座頭市シリーズをずっと手がけてきた伊福部昭さんが音楽を担当されているのも重要かも。喜八映画の音楽と言えば佐藤勝さんが定番ですが、黒澤の『用心棒』、『椿三十郎』のスコアも書いておられる佐藤さんだったら、もっと黒澤作品に近いイメージになっていたかもしれませんね。

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バケモノ&ケダモノ

市は砂塚秀夫の按摩と一緒にいるところを何者かに襲われ、按摩は「ようじん」というダイニング・メッセージを残して死んじゃいます。そこへ、市の首にかけられた百両の懸賞金目当てに用心棒が現れます。「座頭市だか座頭二だか知らねェが、百両稼がせろ!」

用心棒はすれ違いざま刀を抜いて、市をズザーッ! 断末魔の表情の市! ……これで終わったんじゃお話にならない(笑) 市の手にはなぜか用心棒の鞘が握られていて、ソレで刀を受け止めていたのでした。文字通り、元の鞘に収まったってわけ。用心棒は神業のようなその所作に「バケモノ」と吐き捨て、市は市で「ケダモノ」と素敵にやり返します。

この『座頭市と用心棒』はそのタイトルが示すように、大映のエース・カツシンと東宝不動の4番打者・三船が対決するという夢の顔合わせが実現した作品ですが、実際に両者が斬り合うシーンは皆無といっていいでしょう。劇中、両者は何度か対峙しますが、いずれも決着をつけるところまで至りません。どちらも負けさせることができない大スター同士の対決ですから、これはこれでしかたなかったんでしょうね。『新座頭市/破れ!唐人剣』みたいに、日本国内公開版と香港公開版でラストを変えるなんて手も使えませんし。

ま、タイトルはあくまで『座頭市用心棒』で、どこにも対決するって唱われてるわけでもないんで、文句言うのは筋違いってことなんでしょうが(苦笑) これが『座頭市用心棒』だったら問題あったんでしょうけどね(笑) 最初に二人が顔を合わせるこのシーンでも、けっきょく用心棒は市を飲み屋に連れて行くって展開になります(笑)

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チェンバロの女将

いつも必ずチェンバロの音色に乗って登場する飲み屋の女将・梅乃(若尾文子)は、市がかつて心惹かれていた女性ですが、里が変わったのと同じく、彼女もまた大きく変わっていました。3年前は両親と暮らすフツーの娘だったようですが、政五郎に手込めにでもされたんでしょうか、その後はお定まりの転落コースを歩んじゃってたようです。

しかし、そこは若尾文子、伊達に大映で”悪女”として名を売ってきたわけじゃありません。泣き寝入りするようなタマじゃないって。政五郎とはさっさと手を切り、今ではこの里で生糸問屋を営む烏帽子屋の主人・弥助(滝沢修)から二百両の借金して自分の飲み屋を持ち、勝ち気な女将として健気に生き抜いているのです。

「怒鳴る人は嫌い。酔っぱらってしか来ない人も嫌い。それに、溜まったツケを払わない人はだ〜い嫌い」なんて言いながらも、今はどうやら用心棒に惚れちゃってるっぽい。「手の温もりだけは変わっちゃいねェ」という市のセリフが梅乃という女のすべてを物語っています。

若尾さんは言うまでもなく大映のカンバン女優だった人ですが、座頭市シリーズへの出演はコレが最初にして最後。喜八作品にも初出演なんですが、雰囲気や声質が喜八組常連の大谷直子さんと似てるからでしょうか違和感はありません。それどころか見事なぐらいピッタリとハマってますね。なんにせよ、カツシンと三船という2大スターに加えて、米倉斉加年、滝沢修といったオヤジ名優たちを相手に堂々と渡り合うってんですから、いやァ、たいしたもんです。

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握り飯(毒入り)コロリン

用心棒と市が飲んでるところに番太の藤三(草野大悟)が乗り込んできて、市を連れてっちゃいます。ここで、「数日後に八州廻りの役人が来て、お前は打ち首だ」なんて言われた市が、石を手ぬぐいで巻いた即席の武器で藤三とやり合おうとするも、そいつで自分のおデコをガツンとやってしまい気を失うというギャグが入るんですが、コレは不発(笑)

わたしたちが失笑してる間に市は番所の牢に放り込まれます。牢の中には先客が。烏帽子屋の手代殺しの下手人・余吾(寺田農)です。彼は小仏一家のチンピラで、仲間が貰い受けに来てくれるのを待ってるのですが、届いたのは差し入れの握り飯だけ。しかも毒入りの!

幸い、余吾も市も握り飯を食べることなく死なずにすんだのですが、代わりに犠牲になったネズミが悶絶死する様を見て、余吾は小便ちびるほど怯えます。じつは殺しの実行犯は別にいて(たぶん、親分の政五郎)、余吾は死体を捨てるのに手を貸しただけだったのです。毒入り握り飯は余吾の口からソレが漏れるのを防ぐために差し入れられたのでした。翌朝、市は放免されますが、そのドサクサに紛れて余吾も逃げ出します。

このあたり、砂塚秀夫、草野大悟、寺田農と喜八組の面々が次々に出てくるので、見てるだけで楽しい楽しい。よく考えると、ストーリーはすごく陰惨なんですがね(笑)

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きな臭い匂いを嗅いだ

市を放免するよう裏で手を回したのは弥助でした。彼が市を助けたのは、市を味方に付けるためです。弥助は政五郎の父親であり、この親子は激しく対立していました。その原因となったのが、金(きん)。弥助にはもうひとり三右衛門(細川俊之)という息子がいて、コレが政五郎とは正反対で、公儀の御金改役・後藤家に婿入りするほどのよくできた息子。この三右衛門がチョロまかした金を弥助が隠してると思いこんでる(で、実際そうなんですが)政五郎は、その金を探すため蓮華沢の里に根を下ろしているのです。

市は烏帽子屋の用心棒にならないかという要請をやんわりと断りますが、その烏帽子屋にきな臭い匂いを嗅いだのでしょう、しばらく里に留まることに決めます。なにしろ相手は、「どこから見ても善良な紳士やけど、じつは一番悪い奴」って役をやらせたら右に出る俳優はいないって滝沢修ですから、きな臭くってトーゼンです(笑)

そこへ用心棒が乗り込んできて烏帽子屋の店先に火をつけたので、ますますきな臭くなる(爆) 用心棒は火事を起こすことで弥助が金を運び出すかどうかを試したのですが、弥助もさるもの、簡単にシッポを出すようなことはしません。用心棒は代わりに「按摩が公儀隠密だったことを教えたのは俺だぜ」と情報料をせしめ、ことのついでに火事場から逃れようとする市をからかったりして溜飲を下げます。

砂塚秀夫扮する按摩を殺したのはどうやら烏帽子屋の手の者だったらしいことがわかり、このへんからストーリーは金を巡るドタバタ劇へと様相を変えていくことになります。

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柿をシャリっと囓りゃァ

用心棒にからかわれたことで市はかなり怒ってます。用心棒は追い打ちをかけるように「どメクラ」を連発して、ますます市を怒らせます。

市は烏帽子屋からくすねてきた柿をシャリっと囓り、放り投げたかと思うと仕込み杖をスパッ。しかし……柿は切れておらず用心棒は苦笑します。ワンモアトライ。2個目の柿は見事ふたつに。そして、3個目。市が斬ったのは柿ではなく、襲いかかってきた小仏一家の若い衆たちでした。3人を難なく切り捨てると、失敗したように思えた最初の柿もパラリ。このへんは定番の見せ場ですね。で、いよいよ用心棒との対決かと思いきや、突風が吹いて……「目が見えねェ」

「あたしゃ見えなくてもかまいませんが」と惚けた口調で言う市に、そう苛めるな、と途端に弱腰になる三船がかわいい 市、ここぞとばかりに「やい、どメクラ!」 その声がキッカケになったか、今度は用心棒が烏帽子屋の若い者たちを切り捨てます。市vs用心棒の2回戦は、やっぱりお互い刀を交えることなく終わったのでした。

ところで、今年(2003年)の正月、よみうりテレビはこの『座頭市と用心棒』を、「どメクラ」というセリフをカットすることなく放映しました。深夜枠とはいえ、”言葉狩り”が進む現在にあって、大英断だったと思います。よみうりテレビは……”漢”です(笑)

ここから先を読みたけりゃ二十両、今すぐなら二両(笑)

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