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以下のテキストには”ネタバレ”を含んでいます。閲覧にはご注意ください。

夕凪の街 桜の国のポスターの画像です。

もし、この映画の原作を知らなかったならば、わたしはこの映画を「なかなか良い映画ではないか」と評価していたことでしょう。

わたしはバリバリの「原作と映画はベツモノなのよ党」党員を自認していて、マンガや小説と映像化された作品を同じ次元で論じることのバカバカしさはよくわかっているつもりなのですが…… けど、これだけは言わずにおらりょうか。原作のいちばん深い部分を変えちゃうのは如何なモノか、と。

原作を読み、かつ映画を観た人なら「どの部分」のことを指しているのかわかると思うのですが、「その部分」を変えっちゃったために、『夕凪の街』の序盤に置かれ、いわば物語全体の指針とも言うべき重要な「言葉」だったハズの、

ぜんたい この街の人は 不自然だ

誰もあのことを言わない

いまだにわけがわからないのだ

わかっているのは「死ねばいい」と誰かに思われたということ

思われたのに生き延びているということ

そしていちばん怖いのは あれ以来 本当にそう思われても仕方のない人間になってしまったことに

自分で時々 気づいてしまうことだ

って主人公のモノローグが意味を持たなくなり(特に後半部分)、それは『夕凪の街』のラストに置かれた、この物語でもっとも衝撃的な「言葉」であるハズの、

嬉しい?

十年経ったけど 原爆を落とした人はわたしを見て 「やった!またひとり殺せた」とちゃんと思うてくれとる?

ってモノローグさえも緩和させてしまっているのです。

これじゃ、この作品は”ただ”の反戦映画にしかなりえません。しかも、最初に書いたように、この映画は「”ただ”の反戦映画」としては結構な良作に仕上がってるから始末が悪い。この映画を観て感銘を受けた方には、ぜひ原作を読んでもらいたい、としか言いようがありません。だから言います。原作を読んでください。

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