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以下のテキストには”ネタバレ”を含んでいます。閲覧にはご注意ください。

脚本が小中千昭ってこともあるんでしょーが、清水崇監督が作ってきたコレまでの作品群とはだいぶ異なった作風に仕上がってました。あ、作品”群”っていっても『呪怨』シリーズ以外は観たことないんで大きなことは言えないんですけど(苦笑) いちおうヒロインの少女が伽椰子さん的な動きをするところもあったりして、そこは笑えたんですが(苦笑ふたたび)

塚本晋也扮する主人公が異界で拾った少女を現実社会にお持ち帰りして飼育する、ってのがめっちゃ大まかなストーリーなのですが、主人公の行動原理が”恐怖”を探求することだったり、地下街を彷徨ううちに異界に辿り着いたりするところや、少女が言葉も持たないイノセンスな存在であるところなど、どことなく諸星大二郎っぽい匂いを感じました。

また、主人公は、その少女が”血”以外の栄養源を受けつけないため、最初は自分の血を、次に動物の血を、ついには人を殺してその血を少女に与えるようになるんですが、その主人公と少女の”異形の愛”とも言うべき設定からは『怪奇大作戦』の『吸血地獄』を思いおこしたりもしました。実際、後者については、小中さんがこの映画の公式サイトに寄せた文章で、脚本段階で既にそうした指摘があり、無意識のうちに『吸血地獄』の影響下にあったウンヌンってことを書かれてもいます。そーゆーこともあってか、わたしにはかなり”ツボ”な映画でした。

余談ですが、小中さんは上記の公式サイトの文章中で、「この物語の原型は、1995年に東宝から請われて草案した『モスラ』リメイク版のプロットだった」ことも告白されています。このプロットによる『モスラ』が実現していたら、平成『ガメラ』に対抗できる作品に仕上がっていたと考えるのはわたしだけでしょーか? 少なくとも、あの箸にも棒にも係らなかった(と断言します)『モスラ』三部作はもっとずっと面白いモノになっていたと思うのですが……

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