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以下のテキストには”ネタバレ”を含んでいます。閲覧にはご注意ください。

ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOSの立て看板の画像です。

27本目のゴジラ映画となる今作は、前年の『ゴジラ×メカゴジラ』から地続きの続編であると同時に、1961年の『モスラ』の続編でもあります。小泉博さんが『モスラ』と同じ言語学者の役で出ておられるのですが、なぜか名前は”中条”から”中條”に変わっちゃってる。……なんでや? その説明がまったく無いのがちょっと不親切。またノッケから細かいことを、と言われそうですが、このような説明不足の箇所があまりにも多すぎるのよね、この映画。

例えば、小美人。自宅のリビングに現れた小美人を見て驚く中條さん(あくまでコッチの表記に拘らせてもらいます)に向かって、彼女たちは「覚えていてくださったのですね」。このセリフからだと彼女たちは『モスラ』の小美人と同じ人のように思えますが、そのあとで中條さんが懐かしげに見る写真にはザ・ピーナッツの小美人が写ってるんですよ。ってことは、やっぱり別人? それとも、40年も経っちゃったので容姿が変わっちゃっただけなの? 若々しかった中條さんもすっかり白髪のおじいちゃんになっちゃうぐらいだしね。……って、そーゆー問題じゃないでしょ(笑)

それと、この小美人、念動力を使うんですが、『モスラ』んときにそんな能力持ってたっけ? そんなスゴイ力を持ってたんなら、悪党に捕まってもいくらでも逃げ出せたんじゃないかと思うんですが。いつの間にそんなスゴイ力、身につけたの? あ、そうか、『モスラ』んときの教訓を生かして超能力を習得したのか。通信教育かなんかで……って、おい!

あと、コレは説明不足とかって話じゃないんですが、小美人に関してどーしても許せないことがあるんです。それは挨拶するときの仕草。膝をちょこんと折って挨拶するのはいいんですが、その膝が前に突き出しちゃアカンでしょ。膝の形は、向かって左側は”<”、右側は”>”、このシンメトリーな形こそ小美人の正しい挨拶の仕草に他なりません。この映画の他のすべての欠点を許せたとしても、コレだけは絶対に認めることはできませんね、わたしは。……って、そこまでムキにならいでも(苦笑)

小美人以上に説明不足なのが、モスラです。1961年、東京とニューカーク市を襲ったモスラは最後、小美人を取り返してインファント島へ帰りますよね。それから40年余り。人間はモスラの存在を忘れていたんでしょうか?

前作から続くこの”機龍”シリーズは、「1954年の『ゴジラ』と、ゴジラが出なかった怪獣映画は実際に起こった話である」という世界観の中で構築されています。その怪獣たちのほとんどは人間の手で、あるいは怪獣同士の戦いで死んじゃったわけですが、モスラは死なずにインファント島へ帰ったわけですね。日本は何度も怪獣に襲われたって過去が存在し、それゆえ”特生自衛隊”なんてモノまでできちゃってる、そんな世界の住人が、モスラをほったらかしにしてたんでしょうか?

フツー、モスラとインファント島は、日本なりアメリカなり国連なり、しかるべき国か機関の監視下に置かれると思うのですが、そういった描写は一切ありません。モスラはいきなり現れ、小笠原で卵を産み、それどころか中條さんちのすぐソコまで来てたりするのです。そのくせ、冒頭ではちゃんとレーダーがモスラを捉え、空自の戦闘機が迎撃に出るシーンが描かれてるんで、「なんで?」となっちゃう。空自や特自の防空システムはどーなっとるねん!? モスラがレーダーからいきなり消えちゃうのもわけわからんしね。

1950〜70年代の怪獣映画のように、ある種なんでもありの世界の中で怪獣が暴れ回るのは気になりませんが、この映画のように、一方でカッチリした設定を立てておきながら、ソレを反古にするような描写を織り込むのはすごく気になります。脚本とか完成した映画とか、誰もチェックしてへんのかなァ。

モスラがはるばる日本まで来る理由もよくわかりません。「ゴジラの骨を海に帰せ」って、なんすか、コレ? もしゴジラが現れたらモスラがやっつけに来るから機龍は破棄せよって、小林旭が聞いたら「こりゃ日本に対する内政干渉じゃ」って怒りますよ(笑) モスラはあくまでもインファント島の守護神で、『ゴジラ対モスラ』や『三大怪獣・地球最大の決戦』が無かったことになってるこの世界において、ゴジラとはまったく無関係な存在でしょ。その両作にしたって、卵を取り返すためとか、ゴジラとラドンを説得するためとか(笑)、ソレナリの理由があってはるばる海原越えて日本へ来てたってゆーのに、もうちょっとマシな理由付けは考えられなかったんでしょうか?

それにね、なぜ今頃になって小美人はそんなこと言いに来るわけ? 機龍プロジェクトは1999年にスタートしたんと違ったっけ。極秘裏に進められてたとしても、少なくとも1年前には、機龍はその姿を露わにしてるわけですよ。インファント島にはテレビもラジオもインターネットもないので、機龍の情報が今の今までわからんかったってことなんでしょうか(笑)

そのうえ、大口叩いたわりに弱いやん、モスラ。親モスラは実際にゴジラにやられちゃったし、糸吐くしか能のない幼虫だけでゴジラに勝てていたとはとても思えないんですが。もし、小美人の言葉を真に受けて機龍を海に帰してたら、日本はどーなってたんでしょうね(嘲笑)

それと、中條さんの孫が学校の机を並べてモスラのマークを作り、そこへホントにモスラが飛んでくるってのも、ちょっとなァ。それじゃァ、世界中どこでも、あのマーク書いたらモスラは飛んでくるんか? イタズラでモスラ・マーク作る奴、絶対おるで。テレビ中継されてたみたいやから、見た人たくさんいそうやし。

その他、卵が孵化するまでの時間があまりにも早すぎるとか、モスラの設定はハッキリ言ってメチャクチャすぎます。ネームバリューだけで安易に出しちゃうから、こんなことになっちゃうんですよ。そろそろマジで、”モスラ、キングギドラ禁止令”を出すべきじゃないんですか、東宝さん。

機龍をどこで操縦してるのかわからなかったのは、説明不足っていうより、演出のマズさのせいですかね。この映画は後半、ゴジラと機龍、モスラ親子の戦いが延々と続くんですが、パイロットが機龍に乗り込んで直接操縦してるのか、遠隔操作してるのか、終盤近くまでどっちかわかりませんでした。前作の釈ちゃんは、最初は遠隔操作で、コントロールできなくなった途中からは乗り込んで操縦してましたから、今回もたぶん運搬機から遠隔操作してるんやろとは思ってましたけど。

今回のパイロットの虎牙光揮クンは、前作に同じような性格のキャラが出てたんでちょっと損した感じ。主役の金子昇クンは……整備士って設定だけは良かったと思います(笑) 仲間たちと無線で連絡取り合って機龍を修理するシーンは、なんか『パトレイバー』っぽくて、この映画で唯一、楽しめたシーンでした。

とまァ、ここまでアレコレと、この映画の不満な点を述べてきたわけですが…… いちばん不満な点を最後に書きます(爆)

この映画には、タイトルロールの3体の他にもう1頭、カメーバが出ます。ただし、このカメーバ、動きません。ゴジラと思われる巨大生物に殺された死体役として登場するのです。まァ、のっけから死体として出てくるのも不満といや不満なんですが、問題はそのあと。死体を確認に来た機龍隊員たちの会話。

吉岡美穂の「カメーバですね」ってセリフを受けて虎牙クン、「もう少しマシなネーミングはなかったのか」……これはアカンやろ、このセリフは。

わたしはカメーバが出るって話を最初に聞いたときから、「なんでカメーバなん?」とずっと疑問に思ってましたが、このセリフを言わせたいがためだったとしたら、あまりにもヒドイぞ。怪獣映画の中で、怪獣映画を貶めるようなセリフを吐かせてどーすんの! これはもゥ、楽屋オチとか、そんなん越えてますよ。不満と言うより不快。手塚監督は、演出家としての力量はともかく、怪獣映画に愛情を持った人だと思っていたのですが、コレには心底ガッカリしました。

来年のゴジラ生誕50周年記念映画は、10頭以上の怪獣が登場する”オールスター大作”になるそうですが、ぜひともカメーバも出して、大暴れさせてやってほしいもんです。そうしないと気が晴れませんよ、わたしもカメーバも。

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