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以下のテキストには”ネタバレ”を含んでいます。閲覧にはご注意ください。

ドッペルゲンガーのポスターの画像です。

ドッペルゲンガー [(ドイツ) Doppelganger]
自分自身の姿を自分で見る幻覚の一種。自己像幻視。 (大辞林)
ドッペルゲンガー[ド Doppelganger]
【心】 二重身,自己二重身,自己像幻視.幻覚の1種で,自分自身の姿を前方などに見るもの.〈現〉 (コンサイス カタカナ語辞典)
dop・pel・gang・er [dplr]
生霊(いきりょう); 分身. (EXCEED英和辞典)
Doppelganger
【名】生きている人の精霊, 生霊(いきりょう) 《通例本人にだけ見える》.語源 ドイツ語 ‘double-goer' の意 (Microsoft Bookshelf)
影の病
ある男が帰宅すると自分そっくりの男がそこにおる。近づくと相手はスゥと逃げだし姿を消してしまいよった。男はたいそう驚いてそのことを母に語ったんじゃが、母は何も言わんと険しい顔をしただけじゃった。それから間もなくして男は病で死んでしもうた。じつはこの家ではの、これまでにも何代かの当主が己の姿を見たことがあったそうで、それらはみんなすぐに病で死んだそうな。 (『奥州波奈志』より、みやこ訳)

こんな題材を『CURE』や『回路』でジャパニーズ・ホラーの新境地を開いた黒沢清が撮るというんですから、どんな怖いモノになってるのかと思いきや…… いやァ、笑えました(笑笑) ホラー調なのは出だしだけで、後はもうお笑い街道一直線。これなら『勝手にしやがれ!!/分裂計画』ってタイトルでも違和感なかったかも(そうか?)。

小説や映画で描かれるドッペルゲンガーは、小心者の主人公(実体)に代わって好き勝手するってパターンが多いようです。有名どころでは、ドストエフスキーの『二重人格』なんかそうですね。実体は小心な役人ですが野心だけは人一倍持ってる。で、その表に出せない野心をドッペルゲンガーが代わりに実行するってお話です。

逆のパターンの代表例はポーの『ウィリアム・ウィルソン』でしょうか。こっちの主人公は冷酷でズル賢いイヤな奴ですが、ドッペルゲンガーは実体の悪事を暴く善人として登場します。どっちにせよ、実体が内包している側面をドッペルゲンガーが代行するってところは同じなんですが。実体とドッペルゲンガーが合わさって完璧な人間になるって感じなんですね。

余談ですが、『ウィリアム・ウィルソン』はルイ・マルがロジェ・ヴァディム、フェデリコ・フェリーニと一緒に作ったオムニバス映画『世にも怪奇な物語』の一編、『影を殺した男』としてアラン・ドロン主演で映画化されてます。小学生の頃、この映画がテレビで放映されたのを観て、次の日には小学校の図書室で原作を借りて読んだことを覚えています。原作は映画と同じ『影を殺した男』ってタイトルで、子供向きにリライトされたものでしたが、おそらくコレがわたしのドッペルゲンガーもの初体験でしょう(『二重人格』はベルトリッチが『パートナー』というタイトルで映画化してるようですが、こっちは未見)。

さて、黒沢清の『ドッペルゲンガー』に戻りましょう。主人公は医療機器メーカーで”人工人体”なるものを開発中の神経質な中年男。なかなか仕事がはかどらず頭打ち状態のところにドッペルゲンガー(以下、ドッペル君)が現われます。傲慢で押しの強いドッペル君は、実体の会社を荒らすわ、その会社から開発途中の”人工人体”を盗み出すわ、部下だった女子社員に手をつけるわ、殺人強盗して大金を手に入れるわ、とやりたい放題し放題。実体の方は会社を辞めざるを得なくなり、ますます神経質になっていきます。

と、こう書くと一見、”実体=小心者、ドッペル君=野心マンマン”のパターンに当てはまるように思えますが、そこは黒沢清、そうは問屋が卸さない。両者は同じ一人の男の善と悪の部分を分け合ってるかのようですが、人間がそう簡単に二分できるわけがないことを黒沢監督はよくわかってらっしゃるんですね。

実体とドッペル君は役所広司が二役で演じ分けてますが、両者の性格(ってゆーか、行動パターンといった方がいいかも)は次第に似かよってきて、観てる側(わたしたち観客)からはどちらがどちらかわからなくなってきます。お話が終盤に差しかかったところでドッペル役所は実体役所に殺されます。その実体役所も車に轢かれて、オダブツしちゃったように見えます。しかし、その後も役所さんは最後まで登場しまくります。これが実体なのかドッペル君なのか、はたまたどちらでもない第3の存在なのか、本当にわかりません。

……

ネタをばらすと、黒沢監督は「実は本体は死んで、死んでいたと思っていた分身がまだ生きていて、本体の前に現れて後は俺に任せておけっていうシーンがちゃんとあったんですけど、編集の最後の最後で分身が本体の跡を引き継ぐっていうシーンをカットしちゃたんですよ」とインタビューで答えています。「これはもうどっちでもいいっていう心境になっていまして」

最後の役所はドッペル役所だったんですね。でも、黒沢監督が仰ってるように、本当にどっちでもよかったんだと思います。わたしはどちらかわからないことに不安を感じることもなく、別にどっちでもいいや、って感じで観てましたし、そーゆー風に思われた方も多いのではないでしょうか。

役所さんは同じ黒沢監督の『降霊』でも自分のドッペル君を殺すシーンがありました。そんときは通常よくある画面合成と吹き替えで一人二役を表現してたのですが、今回は3分割のスプリット・スクリーンを使って一人二役をうまく表現していました。今年は『ハルク』や『ファム・ファタール』、『キル・ビル』など分割画面の当たり年って感じでしたが(『ルールズ・オブ・アトラクション』も公開を控えてますし)、この『ドッペルゲンガー』での使い方は斬新で見事でした。

役所さん以外のキャストでは、永作博美ちゃんが予想以上にグー過ぎました(笑) 彼女ももう33歳なんですね。なんか、リボンの頃からちっとも変わってないような気がするんですが。弟のドッペルゲンガーに悩まされるって役でしたが、永作ちゃん自身がドッペルゲンガーなのかも(爆) 彼女が”人工人体”に座って楽しそうにグルグル回ってる様子は、なんとなく『ドレミファ娘の血は騒ぐ』の実験シーンを彷彿とさせました。そういえば、洞口依子さんもここ20年ほど、容貌がちーーっとも変わりませんね。……う〜ん、なんか、ドッペルゲンガーというより”ポーの一族”みたいな話になってきたぞ(激爆)

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